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プロヴァンス滞在記 (管理人の日記です)
オウムの主要メンバーの死刑執行が、2018/7/6 に行われた。
地下鉄サリン事件から、もう23年経過していたんですね。。。

オウムは私にとっては縁遠く、接点なんて皆無なのですが・・・
でも、この事件に限っては、とても身近です。

人生、一寸先は闇・・・
よく言われる当たり前の言葉ですが、
日々、冗冗と(もしくは穣穣と?、はたまた畳畳と?)累々続く人生で、人はどこまでソレを意識できるのか??

1995年(平成7年)3月20日
あの日、あの車両の、あの場所で・・・

私は、あの頃、サリンが置かれた日比谷線車両の、まさしくサリンが置かれたその横に、いつも立っていた筈なのですが・・・その日に限って、そこに立つことが出来なかった。

私は遅刻は大嫌い。
いつも仕事には充分な時間的余裕を持って出掛けて、色々な時間調整を行うので、乗る電車が違うことは、通常ありえない。私が遅刻・突発休するのは数年に1回あるかどうか・・・極めて異常事態のみです。

事件から1週間前に遡のぼるが、当時販売されたばかりのバイク・Volty(スズキ250cc)が納車されて(初回生産3000台の1台をゲットした)、仕事が終わって帰宅後はVoltyに乗って慣らし運転に夜な夜な出掛けていた。
地下鉄サリン事件の前夜は、仕事帰りが遅くなり、東名高速での慣らし運転中に雷雨もあって疲労困憊、自宅に戻って寝たのは深夜3時頃?だった。
激しく疲れて、目覚ましが鳴ったのに気づかず、いつもの起床時間より1時間近く遅れて飛び起きた。「自分が親方の現場なのに何て失態を!」って顔も洗わず家を飛び出したが、日比谷線は中目黒から先に進めず、構内放送も意味のわからないことを言っていて埒があかない。何が起きたかもわからず「こんな時に限ってなぜ?」「泣きっ面に蜂か?」って思いながら、やむなく東横線で渋谷へ行って、バスで持ち現場の六本木のビルへ辿り着いたが、そこで事件を知った。。。

いつも通り、あの車両の、あの場所に立っていたら、間違いなく被害者だった。
なぜか、あの日だけ、あの車両の、あの場所に立たなかった。

幸運と言えば幸運そのものですが・・・。
しかし、幸運って続くものでもない。次はわからない。

カミュじゃないですが、人生不条理。
いつ何があっても笑顔で死ねるように、悔いなく生きたいものですね。



幸運の女神?だった私のバイク。
楽しい思い出が沢山だったけど・・・
残念ながら乗ることが少なくなって維持できず、手放してしまった。
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木村 三郎
性別:
男性
職業:
ひょっとしてプー?
趣味:
岩登り、旅
自己紹介:
ハンドルネームは使いません、こんな名前ですが本名です。
本名を使う理由は単純に、匿名で言いたい放題言う風潮が嫌いなだけです。。。
顔が小さいので背が高く見られがちですが、じつは167cmしかありません。しかもなで肩で、上へのリーチは身長160cmの人とあまり変わりません。もうちょっと背が欲しかった。。。
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